
ふと気がつくと年が変わっていた。(もうちょっとで中国式の旧正月に突入じゃん。)、、ひきこもり日記の様相を呈してきていますが、気まぐれ更新にて失敬。
昨年末は怒濤の勢いで人に逢い続けた。この場を借りてお礼申し上げます。それにしても年末年始って、座標軸で自分の立ち位置を確認できる季節だとかねてから思っていて、そこは少しだけセーフティゾーンな印象。すごろくのふりだしに戻る的な。
ことしはまた移動の年になります。一回休みとか、鉄道会社を買う、ホテルを建てる、刑務所に入るとか、そこまで劇的な事は無さそうですが、行く先々で出逢う人達、これからもひとつよろしく!

幾度となく迎えたこの季節。
落ち葉を手にとって、その背景に通り過ぎていった数々の記憶と景色の海に浸ってみる。
ロンドンの安アパート前の排水溝やら、多摩川の河川敷近くの街路樹、アムステルダム郊外のトラム乗り場のファサード下、八王子の公園や、、そしていまは山形蔵王の小高い丘の斜面。
世界を映したこの一枚が、また静かに土へと還ります。

出張で京都へ〜。初めて「五山の送り火」をナマで鑑賞。いわゆる大文字の送り火というやつです。現在は街の灯が明るいですが、昔の人々は空に浮かんだ文字を幻想的なキモチで眺めていたのでしょうね。
お盆の終わりに亡魂の送り火として「文字そのもの」を天に向けて灯すというのは、考えてみれば至極まっとうで、理にかなっている。(船の形をした送り火もあるので、これなどはより直接的です。)
Jリーグの京都パープルサンガのナイター試合が、五山の送り火と重なるというので、サッカーの試合日程を変えてしまったという話を聞いたのですが、京都という土地が伝統文化を守る意識の高さが伺えるエピソード。
花火をみるのとはちょっと違った、独特の作法で、時間差で灯るひとつひとつの文字をぼんやりと見つめている時間が心地よい。それは漆黒に浮かぶ幽玄な書。


